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2011年8月13日 (土)

五山送り火と胡散臭いNPO法人

今回は、大文字焼き騒動、陸前高田の薪からセシウム検出の続報と言う事なのだが、前回のエントリのタイトルや、記事の中でも書いた「大文字焼き」と言う表記は正しくは無い。と、コメント欄(ネッタイムス・ブログgoo版)で御指摘が有りました。
私も指摘を受けた後、気になって調べてみた所、御指摘通り、京都では大文字焼きとは言わず、「五山送り火(ござんのおくりび)」「送り火」「大文字さん」と言うのが正解で、大文字焼きはタブーらしい。

確かに、京都以外の地域の行事で大文字焼きと言うのが有るが、京都の場合は「焼き」と言う表現は当て嵌まらない。
また、「大文字山焼き」と言うのも誤表現で、山焼きとは違い京都は送り火だから、やはり「五山送り火」「送り火」「大文字さん」、そして「大文字送り火」が正しい表記なのだろう。
まぁ、知らぬは一生の恥、聞くは一時の恥と言う言葉が有るが、一つ勉強になりました。

さてさて、今回の五山送り火に関する一例の騒動なのだが、ガジェット通信に気になる記事が掲載されていたので、以下にガジェット通信の記事を抜粋する。

8月12日に、陸前高田から届いた薪を検査した結果が発表され、1130ベクレル/kgの放射性セシウムが検出されたことからこれらの薪を京都五山の送り火に使うことを中止したという報道がなされた。

この時点で陸前高田の薪の使用中止は確定したようだが、実は以前このプロジェクトの発案者のブログに薪の検査結果画像が貼り付けられ、その中に「ストロンチウム」が検出されたとする結果が含まれていたことがわかった。
ただし、そのブログ記事は何故かその後削除されており、現在は見えなくなっている。

もっと詳細な検査が必要じゃないかと思われる内容だが、この時点でもっと詳細な調査がおこなわれていれば、今回のような騒動にならずに済んだと思われるが、なぜ詳細な調査がおこなわれずに、この検査結果がブログから削除されたのか、不明である。

問題ないなら問題ないで、なぜそのような説明がなされずに、ブログ記事が削除されたのだろう。
尚、この薪のプロジェクトを主導したのは「元福井市議」と福井県のNPO法人「ふくい災害ボランティアネット」だと言われているが、なぜ福井の人達が岩手の薪を京都へ売ろうとしたのか、その販売価格はどれくらいで、どのようなお金の流れがあったのかは不透明なままだ。

さらに、発案者のブログの魚拓を読むと、京都の送り火の保存会側から正式に了承をもらう前から薪の調達をスタートし、マスコミの取材まで受けていたことなどもわかり、そもそも京都側とコミュニケーションをきちんとおこなった上で準備を進めていたのか、疑問に感じる部分もある。

今回は、送り火での薪の使用を中止した京都側を一方的に非難する各マスコミの報道が騒動の発端となったが、部分的な出来事だけではなく、これまでの経緯を含めた全体の流れを見て報道をおこなえばこれほどの問題にはならなかった可能性がある。

以上がガジェット通信からの抜粋なのだが、五山送り火で高田松原の松から作った薪を燃やすのは、被災地の復興がどうたらこうたらと言う大義名分を謳い文句にしているけど、かなり胡散臭い事が判る。
マスコミが、この福井県のNPO法人には触れず、何故か京都ばかりを叩くのも更に怪しい。

そもそも、何故に京都が叩かれているのか、私にはよく判らない。
京都の五山送り火と言えば、由緒正しい伝統行事であり宗教行事だわな。
送り火で燃やす木は、通常は御神木のみであり、木だったら何でも良いと言う話では無いだろう。
神聖なる御神木を燃やし続けた歴史や、お盆で戻って来た死者の霊を、再びあの世に送り届ける為の宗教的な行事と言うのが五山送り火。

京都を批判する放射能の専門家は、健康に影響を及ぼす数値では無い等と言うが、送り火で燃やした御神木の灰は有り難い物として「お守り」にしたり、健康を祈願して煎じて飲む場合も有ると言う。
そうした気持ちの問題は、数値では測れない訳で、僅かでもベクレた(放射性物質が検出)灰は、宗教的な意味では有り難みが無くなるのでは?。

まぁ、私は信心深く無い方なので、宗教行事に関して偉そうに言える立場では無いが、各々の地区に伝わる伝統的且つ宗教的な行事に付いては、外野がとやかく言う問題では無いと思う。
従って、高田松原の薪を受け入れないから京都が悪いと言う論調には賛成出来ない。

昔、大相撲の大阪場所で、太田房江府知事(当時)が、女人禁制の土俵に上がれないのは男女平等や男女同権に反するとして、抗議した問題があった。
その時に日本相撲協会は、日本古来の伝統儀式は守り抜くと言う強い信念の元に、女性を土俵に上げる事を頑なに拒んだ訳だ。
当時も一部のマスコミは、時代錯誤とか、古臭いとか言って批判していたが、相撲協会の判断は間違っていなかったと思う。

伝統と言うのは、その時その時の状況に応じて、コロコロと変える様なものでは無く、昔からの決め事を粛々と続けて行くものだろう。
その積み重ねが歴史となり、その歴史が伝統と呼ばれるのである。
京都は回りを気にせず、これからも伝統行事を守って貰いたいもんだ。では。

【ネッタイムス・東坊京門・作】

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